公益財団法人大田区産業振興協会
副理事長 山田 伸顯
コンパス誌上において、これまでも田村理事長によって、円安と貿易赤字が分析されてきた。1981年から2010年までの30年間、一度も貿易赤字を計上しなかった日本が、2012年7月以来14年6月まで、24か月連続で赤字を継続するという事態は、各種産業界の企業に対して構造転換への根本的変革を迫っている。
1.円安効果が表れない輸出減少
2012年末に安倍内閣が誕生する時期と相まって、それまでの異常な円高からの脱却が始まった。中小サプライヤーからは、円高を理由とした下請単価の切下げから少しは解放されるかも知れないとの期待が高まった。外国為替相場が下がった直後は貿易収支が悪化するが、時間の経過によって、Jカーブ効果がいずれ発揮され、輸出の増大に結びつくと産業界は予測していた。
ところが、円安が進行しても一向に貿易収支は回復せず、入超が継続する推移となっている。大きな原因の第一は、福島原発事故を受けて火力発電の増強を余儀なくされ、液化天然ガスを中心にエネルギー輸入額が急増したことである。現在のところ、輸入総額は2012年にピークとなり約8885億ドルとなっているが、鉱物性燃料はそのうち34%を占める。2005年と対比すると、増加の寄与度は46%に上る。中でも液化天然ガスは、増加割合が4倍以上で、増加額約574億ドルとなっている。
貿易収支の悪化は12年以降慢性化しているが、その第二の原因は、ドルベースでの輸出額の低下である。輸出額は、東日本大震災に見舞われた2011年に最大値約8208億ドルとなったが、13年には約7192億ドルと1000億ドル以上減少した。月毎に見ると図に示されたように、円安に切り替わるときから輸出額が減少し、その後も低迷が続いているのだ。輸出額は、12年7月に前年同期比マイナス7.2%を記して以来、24月にわたり前年同期比がプラスにならずに経過している(平均マイナス8.6%)。
この主要因は、長期にわたる円高により、アジアを中心とするグローバル分業体制を強化し、最終製品だけでなく部品技術も海外拠点にシフトさせ、製品・部品共に国内からの輸出を代替できるようになったことが挙げられる。加えて、為替変動による価格変化を避けるため、輸出財の契約価格を円ベースでなく現地通貨建てで設定するため、円安になっても取引価格が下がるとは限らないという実情がある。そのため輸出数量が増えないので、ドル建ての総額が伸びない。円安により、円ベースでの輸出額は上がっても、実需の増加につながっていない。
2.交易条件の悪化
円高が続いた期間において、改善が進まなかった事象は交易条件である。自国通貨が強ければ、輸入価格が低下するため、交易条件(輸出価格/輸入価格)は良好になってしかるべきである。しかし、電子部品や情報通信を中心に、為替レートと関係なく交易条件の下落が続いてきた。最近持ち直しつつあるとは見られるものの、大手家電メーカーは存亡の危機にさらされてきた。
日本の電気業界は21世紀に入ってから、デジタル三種の神器といわれた薄型テレビ、デジタルカメラ、DVDプレイヤーという新技術で世界を席巻し、バブル崩壊後の再生が展望できるようになった。しかし、その技術がグローバルに伝播し、コモディティ化が進んだことで、大量にコストダウンした部品の調達が可能となった。その結果、10年足らずで価格引き下げ競争に引き込まれ、円高により輸入部品の円建て価格が下落しても、それ以上に製品の輸出価格を下落させてしまい、交易条件の継続的な低下が引き起こされた。交易条件が悪化すると、輸入などの投入価格が輸出などの産出価格より高まるため、自国や自社の富が流出することになる。労賃や下請単価の切下げをやむなくされるという貧窮状況に陥る。
一方、一般機械と精密機械の交易条件の変動は小さい。大量生産ではなく、顧客のオーダーに基づき個別に生産される分野の技術であり、価格引き下げには応じない対処が可能である。高いブランド力を有する輸送機械も交易条件を維持している。通商白書2012によれば、加工系業種を含めて3つの業種の交易条件は大きく落ち込んでいないが、悪化する傾向も出てきている。
欧米の企業は、交易条件と輸出収益を維持する対応を行ってきた。EUの経済的盟主であるドイツでは、ここ数年来ユーロの為替レートが低下し、輸入価格が上昇していた。しかし、それに見合う分を輸出価格に転嫁することで、交易条件を一定に維持してきた。
また、ドイツでは、エネルギー政策が大きく異なる。原発脱却に踏み切った背景には、もともと石炭の自国内供給が可能で、褐炭による火力発電で総発電容量の4分の1を賄っている。また、再生可能エネルギー生産を拡大し、総発電容量の20%を供給できるようにした。原油・天然ガスは輸入が必要だが、燃料・エネルギー輸入額の割合が13%に止まっているのである。
3.デフレ克服後の成長産業戦略
日本では、未だに輸出額の低下と交易条件の悪化から貿易状況が改善されていない。それでも一部大手を中心に輸出企業の為替差益が還元され、国内経済の活性化がもたらされた。今後、アベノミクスの成長戦略が遂行されることによって、日本の産業が新たな段階に飛躍できるだろうか。
過去において今日と同じくデフレに陥った昭和恐慌期を振り返ると、金本位制離脱により円が40%以上急落した結果、輸出が急拡大し、引き続いて進めた国内産業の構造変化が経済全体の成長を牽引した。軽工業中心から新しい重化学工業に移行したことが、世界に先駆けて昭和恐慌から短期間で再生できた原動力となった。
今日の経済状況において、かつての昭和恐慌脱却時のような輸出急増と産業構造転換を望むことは現実的でない。しかし、もともと日本は輸出依存度(GDPに対する輸出の割合)が14%に止まっており、巨大な内需を有している。その需要変化に対応した産業への移行は必須である。これまでの財にこだわった実物生産重視の戦略からソフトなサービスを志向する戦略に切り替えなければ、グローバルな競争環境や人口減・少子高齢社会といった激変する市場への価値を喪失する恐れがある。
では、戦略の具体的展開としてどうすべきか。先ずは、グローバル経済において変化する各国のニーズと生産拠点の役割の高度化に対応し、国内の中小企業も自ら積極的に海外企業との取引を開拓することが益々重要となっている。技術を直接売り込むために、国も国際空港と隣接したトレードの場を設け、かつ自由貿易機能を活発にして取引のルートを開拓すべきである。
次に、国内の新規需要に応える戦略である。中でも超高齢社会の到来により、これまでにない社会的需要が生じてくる。高齢者消費の市場規模が12年には100兆円に達しており、消費市場全体に占める比率が高まっている。
健康長寿の維持は個人の願望だけでなく、サポートする自治体と国にとっても財政面から見て必然的な課題となる。高齢者用の衣服や肌着の開発、弁当や必需品の宅配、転倒防止やバリアフリーの住宅リフォームといった、高齢者にとっての衣食住の充足は拡大する需要である。電動アシスト自転車、フィットネスクラブ、ヘルスツーリズムなどは、健康高齢者向けの企画提供として消費を喚起する。また、補聴器や歩行支援機器の開発、障害者向けの旅行企画など、高齢者の自立を補助するサービスも期待される。
特に、噛む力の衰えた高齢者にとって、流動食で我慢させられることは生きる喜びを半減させる。最近開発が進んでいる「やわらか食品」は、家族と共に同じ食を味わえる楽しさから心身ともに元気を回復する効果が期待できる。
もちろん介護・医療の制度改革と技術革新は最重要な課題である。しかし、要介護者と富裕層を除く8割は未開拓の市場であり、高齢者個々の自己実現に向けた市場創造が不可欠である。高齢者のニーズに対応するビジネス展開は、日本に続いて高齢社会を迎えるアジアの需要を満たす意味でも最大のチャンスとなる。
(本稿は所属組織ではなく個人の見解である。)
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